他人の敷地内に進入した先に見た、地下の秘密工場。

地下工場は八王子の山陵に存在していた。

八王子といえば、2007年にミシュランガイドで、富士山と共に最高ランクの三ツ星を獲得した高尾山が有名。

しかし、八王子の魅力は 目に見える高尾山だけではない。

今回探検した浅川地下壕(戦争遺跡)は、第二次世界大戦中からそこに存在していた。

東京に住んでいる人で、何人の人が知っているだろうか。

戦時中に使用されていた地下壕が、八王子の山陵の下に、戦時中と変わらず横たわっていることを。

地下壕の中にいた時間は僅かだったが、戦時中の過去にタイムスリップしたような、不思議な体験だった。

浅川地下壕とは

浅川地下壕の最寄駅である高尾駅は、新宿から電車で1時間ほど。これほど都心に近い巨大地下は日本全国で他に見当たらない。

  • 所在地:八王子市南西部、初沢町と高尾町の山稜
  • 工事開始時期:1944年9月着工(第二次世界大戦末期)
  • つくられた目的:中島飛行機武蔵製作所航空機エンジン製造工場
  • 長さ:イ地区、ロ地区、ハ地区の3地区からなり、総延長距離10キロメートル。戦時中に全国で掘られた地下豪のなかでも屈指の規模をもつ地下壕。
アフロ

この10キロメートの大地下壕が戦時中に1年足らずの間につくられたんだ。そして、この事実の陰には、地下壕を掘るために連れてこられた朝鮮人労働者の過酷な労働があったことを忘れてはいけない。

高尾駅の天狗像

今の高尾駅は、元の駅名を浅川駅という。1961年、駅名を「高尾駅」と改められた。

浅川地下壕見学会

偶然知った「浅川地下壕の保存をすすめる会」が主催している、「浅川地下壕見学会」に参加させて頂いた。

集合場所であるJR高尾駅の改札出たところには、既に10人以上の参加者がいた。ここで講師の中田さんに参加費を払い、資料を受け取る。

参加者が全員揃ったところで浅川地下壕に向かって移動を開始した。

  • 講師:中田均さん
  • 集合場所:JR高尾駅改札を出たところ
  • 見学会の頻度:月1回
  • 定員:20名
  • 持ち物
    • 大型懐中電灯(半数ぐらいの参加者がヘッドライトを装着していた)
    • 軍手
    • 汚れてもよい服
    • 濡れてもよい靴(長靴など)(ランニングシューズでも問題なかった。)
    • ヘルメットは貸してくれる
  • 参加費:500円(保険と資料代)
  • 参加応募:「浅川地下壕の保存をすすめる会」のHPに記載されたメールで応募。

浅川地下壕

浅川地下壕は、JR高尾駅から徒歩15分。

講師の中田さんの傘が指し示す、山稜の下に今も地下壕が眠っている。

みころも霊堂

写真手前に見えるのが、浅川小学校。その前方奥には金色の塔が見える。

この塔の名称は「みころも霊堂」。産業殉職者をまつっている塔だ。

霊堂の由来

高尾みころも霊堂は、産業災害により殉職されたかたがたの尊い御霊をお慰めするため、労働福祉事業団が、昭和47年6月に労災保険法施行20周年を記念して建立したものです。開堂以来、毎年秋に各都道府県の遺族代表をはじめ政財界、労働団体の代表等をお招きし、産業殉職者合祀慰霊式を挙行するほか、多彩な行事を催し、御霊をお慰めしております。また、慰霊式には霊堂が建立された昭和47年を初めとして5年ごとに、皇太子、同妃両殿下の御臨席を仰いでおります。

労働省発表資料一覧HPより

一般家庭の敷地内に進入。

もうすぐ浅川地下壕の入口に到着する手前で、トイレ休憩、そして駐車している中田さんの車からヘルメットを受取り、ヘッドライトを取り付けた。

なにやら怪し気な格子が隠れている。この格子は外から見た豪内の入口だ。

八王子のとある一般家庭の住宅の敷地内に、浅川地下壕へと続く秘密の入口があった。その入口は今も日常に溶け込んでひっそりと存在している。

いよいよ地下壕の中に侵入。奥は何も見えない。1人で入るのは恐ろしくてとても無理だろう。

見学会参加者のライトで照らされているが、ライトがなければ漆黒の闇の世界が広がっている。

浅川地下壕の歴史的背景

第二次世界大戦の末期、浅川地下壕は元々は「陸軍倉庫」として建設された。それがエンジン製造工場に変更された経緯はこうだ。1944年11月に本土空襲が始まった。中島飛行機武蔵製作所はこの空襲で2回標的にされ、それぞれ約70人の従業員や勤労動員の学徒が死亡した。これらにより、武蔵製作所は浅川地下壕に中枢機能を移す決断がなされた。

知覧特攻平和会館の零戦

零式艦上戦闘機(略称:零戦)は三菱重工製だが、その心臓部であるエンジンの「栄(さかえ)」は、中島飛行機製(現SUBARU社)である。

豪内に入るも、鉄柵が出現。

豪内に入ると、ひんやりとして外の空気とはちがう。コウモリの巣があってもおかしくない雰囲気だが、講師の中田さんに聞いたところ豪内でコウモリを見たことはないそうだ。

この鉄柵より先へは残念ながら進むことが許されない。所有者である企業の管理地だからだ。

この鉄柵の奥には、升目状の地下壕があり、中島飛行機の地下工場として実際に使われた場所があるというのに見学ができない。本当に残念だった。

それから、「オウム真理教サリン事件」が世間を騒がせたときには、この鉄格子の向こうが、サリン製造現場として目星を付けられ警察が介入したそうだ。

東京大学地震研究所の地震計が設置されている。大規模地震に対応するシステムの一役をになっている。

この地震計があるため、見学会は月1回に制限されている。見学会が開かれると、参加者が歩く振動で正確な計測ができなくなるためだ。

地下壕のなかは湿度が高いため、天井や側面には白いカビが見える。

戦時中は豪内の湿度が高いため、エンジン工場として稼働を開始しても、加工した翌日には鉄製品の表面に錆が浮くほどだったといわれている。

戦後53年経ってから発見された、ダイナマイト。

見学した場所の中で、この場所の天井だけは鉄枠でおおわれていた。なぜか。

当時ここは火薬庫として使われていた。1999年1月26日、テレビ局の取材中に大量の爆発物が発見された。

発見者は芸能人の東野幸治さん。テレビ放映当時はダイナマイトの存在はふせられたものの、映像には映りこんでいたそうだ。戦争遺跡として発見された爆発物としてはもっとも大量で、総量が約3トンあった。

そして、このダイナマイトを自衛隊が処理するために、ここの天井は鉄枠となったのだ。

ある地点の壁には、直径5センチメートルくらいの穴がたくさんある。これらは、ダイナマイトを仕掛けるために削岩機で掘ったロッドの穴である。

見学会が行われるのは、3地区あるなかのイ地区のみ。残念ながら、あとの2地区は規制がかかっていて立ち入ることができない。

非日常の暗闇の世界から、日常の世界に帰ってきた。非日常の世界は普段からそこにあって、我々は気付いていないだけかもしれない。

「浅川地下壕の保存をすすめる会」のホームページから見学会の申し込みができる。

高尾駅

高尾駅に戻ってきて、夢から覚めて、いつもの現実世界に戻ってきた感覚。

しかし、浅川地下壕という、戦時中の一つの現実を目の当たりにして、この日から八王子に対する印象がガラリと変わった

参考文献:フィールドワーク「浅川地下壕」平和文化